[研究発表]

   非冷却で光ファイバーによる単一光子配信を可能にする技術
     ― カーボンナノチューブを用いることで、室温・通信波長帯の非古典光発生に初めて成功 ―  


ポイント

原理上絶対的安全性を持つ量子暗号通信など新たな量子情報通信技術を広く実用化するためには、室温かつ光ファイバーの通信波長帯で動作する単一光子光源が不可欠

現在単一光子源として用いられている化合物半導体量子ドットやダイヤモンド中欠陥(NV中心)では、室温かつ通信波長帯の単一光子源実現は困難であり、新材料による単一光子源開発が望まれている

カーボンナノチューブを用いることで、単一光子発生で見られるアンチバンチング挙動を室温・通信波長帯で観測することに世界で初めて成功した

非冷却での光ファイバー単一光子の配信が可能となり、量子情報通信技術の普及を推進すると期待される


要旨

   慶應義塾大学理工学部物理情報工学科の牧英之准教授らは、直径約1nmの微細な一次元物質である単層カーボンナノチューブ(注1)を用いて、室温かつ通信波長帯でのアンチバンチング観測(注2)に世界で初めて成功しました。 アンチバンチングは、量子情報通信で用いられる単一光子発生で観測される量子的な挙動であり、化合物半導体量子ドットやダイヤモンド中欠陥(NV中心)などで観測されていますが、量子情報通信での実用化で必要とされる室温かつ通信波長帯で観測された例はありません。今回、新たな材料系としてカーボンナノチューブを利用することで、室温かつ通信波長帯でのアンチバンチング挙動が得られることを初めて明らかにしました。これにより、カーボンナノチューブを用いることで光ファイバーでの単一光子配信が非冷却で可能となり、単一光子を用いた量子情報通信技術の普及を推進することが期待されます。 本研究成果は、米国物理学協会の速報誌 Applied Physics Lettersオンライン版で公開されました。


研究の背景と経緯

   1パルス中に含まれる光子が1個に制限された単一光子は、量子力学に関する基礎研究分野や、その応用で盗聴の検知による絶対的に安全な量子暗号通信などの応用研究分野において近年注目されており、特に量子暗号通信の実用化には、光ファイバー低損失領域(通信波長帯)である波長1.3μm帯や1.55μm帯での長距離単一光子伝送が必要とされています。 従来、通信波長帯での単一光子発生源としては、レーザー光源を単純に減衰することで単一光子を得ていますが、単一光子の発生効率が低く伝送距離や通信速度の著しい低下を招くため、効率よく確実に単一光子を発生させる単一光子光源の実現が望まれています。 単一光子発生を実現する材料系としては、化合物半導体量子ドットやダイヤモンド中欠陥(NV中心)などが報告されており、単一光子生成時の同時光子発生抑制の証拠であるアンチバンチング挙動が観測されています。 しかし、通信波長帯での単一光子源は、現在、InAs系などの化合物半導体量子ドットで実現していますが、10Kといった極低温のみでしか動作しないことから高価で希少な資源である液体ヘリウムによる冷却が必要となっています。 また、室温での単一光子発生は、CdSe系、GaN系などの化合物半導体やダイヤモンドNV中心などで実現していますが、いずれも発光波長は可視域であり通信波長帯での室温単一光子発生は未だに報告されていません。 室温かつ通信波長帯での単一光子を実現するためには、熱励起による基底状態からの発光の減少や無輻射過程の増加など、材料自身が根本的に抱えている多くの問題に対して大きなブレイクスルーを要するため、実用化可能な室温動作単一光子発生素子の実現のためには、従来の化合物半導体等に変わる新たな材料系を探索することが求められています。

   一方、カーボンナノチューブは、その一次元構造に由来して、特異な物理的・化学的・機械的特性を有した新しい材料であり、従来の固体半導体を大きく超える特性が得られるだけではなく、シリコン基板上へ直接集積することが可能であることや、炭素原子のみで構成された材料でありインジウムなどの希少元素やヒ素などの有害元素を含まないなど、新素材として注目されています。 特に、半導体カーボンナノチューブは、通信波長帯を含む0.8~2μm程度の近赤外領域において室温で発光することから、光ファイバーを用いた光通信技術における光デバイス応用が期待されています。 さらに、カーボンナノチューブの励起子の束縛エネルギーは、従来の固体半導体(20meV程度)と比べて10倍程度(数百meV)と極めて大きいことから、室温でも安定して励起子特性が得られる特徴があります。 また、局在励起子の形成といった励起子ダイナミクスを制御することによって、発光量子効率の大幅な向上(~20%)が報告されるなど、カーボンナノチューブ内の励起子の新たな制御法の確立によって、光デバイスへの応用が今後ますます期待されます。


研究の概要と成果

   今回の研究では、孤立した1本の単層カーボンナノチューブを用いることで、通信波長帯でのアンチバンチング観測に室温で成功しました。 本研究では、微細加工技術で作製したラインアンドスペース基板を架橋した一本のカーボンナノチューブを用いることで、一本のカーボンナノチューブ内に生成した単一励起子からの発光を得ました。 従来、通信波長帯での単一光子測定では、InGaAs半導体を用いたアバランシェフォトダイオードが用いられていましたが、本研究では、慶應義塾大学の早瀬潤子准教授らと共同で超伝導単一光子検出器(SSPD)を用いた低ノイズ単一光子測定系を新たに構築することにより、高感度な単一光子測定を可能としました。 このようなサンプルと測定系を用いて、単一光子測定を行った結果、カーボンナノチューブ系では初めて、通信波長帯でのアンチバンチング挙動の観測に成功しました。 加えて、アンチバンチング観測を低温(6K)から室温まで行ったところ、2光子の同時発生抑制を示す遅延時間ゼロでの規格化された2次の相関関数の値(g(2)(0)と呼ばれる)は、低温から室温までほぼ一定値で1を下回っており(< 0.6)、低温から室温まで安定してアンチバンチングが得られることが明らかとなりました。 この成果は、カーボンナノチューブ系で初めて室温でアンチバンチングを観測したという結果にとどまらず、通信波長帯かつ室温でアンチバンチングをあらゆる物質系を含めて初めて観測した成果となります。


今後の展開

   本成果により、カーボンナノチューブが室温動作可能な通信波長帯の単一光子光源を実現する極めて有望な材料系であることを世界で初めて実験的に示しました。 この技術は、現在の化合物半導体の単一光源で必要とされる液体ヘリウムによる冷却を用いずに、非冷却で光ファイバーによる単一光子配信を可能にするものであり、現在実用化に向けて研究が進められている量子暗号通信といった量子情報技術の普及を推進することが期待されます。 本実験では、2光子同時発生の抑制を示すg(2)(0)の値は、0.5をやや上回っていますが、このような光源を量子暗号技術へ実用化する場合、g(2)(0)は2光子同時発生の確実な抑制を示す0.5以下の値が求められます。 本研究では、自然に導入された励起子閉じ込めを利用しましたが、今後は励起子局在サイトを人工的に導入して確実に1個に制御することにより、確実な単一光子発生を示すg(2)<0.5が実現されると期待されます。 また、カーボンナノチューブからの発光は、電流注入によるEL素子や光共振器との組み合わせも既に実現していることから、今後は、単一光子光源とこれらの素子の融合による実用的な単一光子光源の開発も可能となります。


論文

タイトル:
“Photon antibunching in single-walled carbon nanotubes at telecommunication wavelengths and room temperature” (単層カーボンナノチューブにおける室温・通信波長帯フォトンアンチバンチング)
著者:Takumi Endo, Junko Ishi-Hayase, and Hideyuki Maki
雑誌名:Applied Physics Letters


用語解説

注1)カーボンナノチューブ  
   鉛筆の芯等の原料である層状物質グラファイトの一層であるグラフェンを筒状に巻いた物質。直径が約1nm程度の一次元構造を有している。従来物質では実現できない高性能・新機能の各種デバイス応用が期待されている。また、炭素原子のみから構成され、希少元素や有害元素を含まないことから、省資源・低環境負荷な材料と言える。

注2)アンチバンチング
   単一光子源からは、1パルス中に含まれる光子が一個に抑制された単一光子が生成されるが、光子相関測定において同時光子発生が抑制されていることを示す証拠となる挙動。2つに分岐した単一光子を2つの検出器で検出した場合、一方の検出器で光を検出した際には、同時に他方の検出器では光子が観測される確率が下がる。この場合、光子相関測定における遅延時間ゼロでの規格化された2次の相関関数の値(g(2)(0)と呼ばれる)は、1を下回る。

注3)励起子
   物質中において、電子と正孔がクーロン力により束縛されて対をなし、束縛状態になったもの。半導体中では、励起子は発光特性に重要な役割を果たすが、通常の化合物半導体では束縛エネルギーが小さく、特に通信波長帯で発光する半導体においては、室温で励起子は存在しにくい。一方、カーボンナノチューブでは、束縛エネルギーは数百meVと巨大であり、室温の熱エネルギー(26meV)と比べても非常に大きいことから、通信波長帯で発光するものでも室温で安定して励起子が存在する。励起子を狭い空間に閉じ込めた場合、一つの励起子からの発光を取り出すことが可能となることから、ここから生成する一つの光子が単一光子となる。

注4)通信波長帯
   光ファイバーにおける光透過率が高く伝送損失が小さい波長帯。この波長において、現在、光ファイバーを用いた長距離光通信が実現している。また、現在研究段階であり原理上絶対的に安全とされる量子暗号通信においても、光ファイバーによる単一光子の長距離伝送を行うため、従来の光ファイバー通信と同様に通信波長帯における単一光子光源が必要とされている。


本研究の問い合わせ先

慶應義塾大学 理工学部 物理情報工学科 准教授 牧 英之(まき ひでゆき)
E-mail:maki@appi.keio.ac.jp

その他、一般的な広報に関しては、
慶應義塾広報室 TEL:03-5427-1541 http://www.keio.ac.jp/
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